1. 「優柔不断は誤った判断よりなお悪い」とは
罰せられざる大罪というものがあると思う。社長経営者において「決められない」と答えることと、会社に勤めるものとして「わかりません。」と答えること。この二つである。
社長は決めるのが仕事である。これが決められないのであれば仕事をしていないのも一緒である。社長に問うとこの回答は多い。
・情報が足りない ・前例がない ・私はその専門家ではない etc.
これらをもっともらしく言うのである
2. 優柔不断が許される理由
それでは、いつもこたえられるようにするのはどうするべきか、社長がすべてのことを知っていてすべてのことがわかっているわけでもあるまい。そこで、一倉先生の言葉ではないが、優柔不断であること以外は許されるのである。その理由は下記の通りである。
・理由1:ビジネスにおける正解などそもそも誰にもわからないのであるであるのであれば、迷っていて手を付けない以外の方法には全て正解の要素がある。
・理由2:人間は頭で考えるが、会社組織は頭で考えるのではなくて、体の動きで考える。
つまり、会社は人間でいえば副交感神経のようなものの方が多い。腸の蠕動運動、心臓の鼓動、呼吸(呼吸は少しコントロールできるが)のように、実は、意思なくとも動き続ける機関でもある。社長は大事だ。しかしその一方で、社長がいなくても、会社は回る。そのために、交感神経の範囲の頭脳が意思決定に時間をかけてはいけないのである。動き続けながら苦しかったら苦しくないように、自動調整が効くものである。企業法人は動いていること自体が考えていることなのである。なので、社長は動きを止めるようなことをしてはいけない。迷ってはいけないのである。
3. 経営者の心得とは
社長は意思決定を迅速に行うために何を心掛ければいいのであろうか。まず一つは、お飾りでない企業理念を用意しておくべきである。そしてそれと照らし合わせて正しいか正しくないかを判断する。企業理念は次第に形骸化する宿命もある。時に水をやり育て続けないと枯れてしまうのである。企業理念を枯らせない為にも、それに照らしわせて判断をする。これがビジョナリーである。
4. 結語
企業理念対処範囲内か、範囲外か。これを判断する必要性もある。企業理念外と判断した場合は、即材にそれをアナウンスし、「決定に向けて」の最短プロセスを探し対処するべきである。判断することを怖がってはいけない。優柔不断になることを怖がってはいけないのだ。 了