『一倉定の経営心得』を読む その34を使用
「CSRマーケティング」とは
株式会社TOKUMEI
代表取締役 横田和洋
1. 諸言
「理想的な経営構造は、『工場を持たないメーカー』である」1という言葉から連想される現代や近代におけるビジネス用語として、「ファブレス経営」2や「ODM」、「OEM」、「サプライチェーン」、「バリューチェーン」などが挙げられよう。5000社の企業を見ての感想を踏まえたどり着いた結論である。「作ること以外脳のない生産会社にやってもらえば良い」とは随分なもののいい方といえる、その一方、まるで日本の製造業界を予想していたかのようである。また、「市場のすべての要求を満たそうとすると、すべての要求を満たせなくなる。お客様が望むのは、全ての品がそろっていることではなく、自分の買いたい品が豊富にそろっていることである」という言葉がある。ここから想起できるビジネスワードは、「セグメンテーション」である。これ以外にも「ポジショニング」や「コンセプト」、「ランカスター戦略」なども想起されるが、有限であることを自覚せよとの教えである。いずれもマーケティングに関わる業務に携われば初期段階で起きる問題である。
マーケティングの根幹は、「STP」(「セグメンテーション」、「ターゲティング」、「ポジショニング」)といえる。つまり、「誰に」という部分を決定しなければならないのである。そして、それはある意味において絞ることを意味する。しかし、マーケティングを理解していない人は、「ターゲットを絞ることは損である。だって買ってくれそうな人が買わなくなってしまうではないか」と考える。日本語としては正しいが、戦略的観点から俯瞰すれば話にならないといえる。
2. 日本企業に求められるマーケティング力
ターゲットを絞らなければ次第に汎用的なものになるのは当然の流れであろう。つまり、当たり障りのない、個性のないものを作ってしまうことになる。しかし、それが許されるのは業界No1の企業がとるべき戦略ではないか。2位以下に位置する企業はNo1の企業に対して対抗軸を出さなければ市場において勝負にならないからである。その分、すでに汎用性を犠牲にすることを意味する。また、すべての顧客を静観していたのでは、自社の今後採用すべき道筋が見えてこないであろう。
市場には必ず「顧客」と「競合他社」の存在がある。No1企業でない限り、自社の独自性を打ち出し、自社が獲得したい顧客と真正面から真摯に向き合わなければならないのである。それでは、すべての対象者に購入してもらえる商品やサービスが準備できた場合はどうなるのか。そうした最大公約数はすでに必ず大手企業が握っており、こうした戦略は竹やりで戦車に向かっていく、という例えが相応しいであろう。その先にあるのは「価格競争」なのである。大手企業は「量産体制」が組めるが、量産体制を組める企業の方が価格競争で優位に立てるのは自明の理といえる。
また、こうした実態を構造的に理解しない人が実に多いことは言うまでもない。例えば、ショッピングモールでアナウンスが流れ、「お車のライトがついています。お車に戻りご確認ください」というアナウンスで車主は戻れないのと同じで、茫洋としたメッセージでは誰も振り向かないのである。こうした状況を打開するには、かき分けて、声を張って、自分の求める顧客に必死に自分の声を届けなければならない。買うか買わないか分からない人を気にして茫洋とした行動をとってはいけないのである。
ここで「ニッチ戦略」3や「ランカスター戦略」4は、弱者のとるべき戦略の基本である。広さをとるには「資本」が必要であり、深さは「知恵」でできている。アップルも実はかなり癖の強いニッチ戦略で有名な企業である。そもそもアップルはパソコンを機能で販売することを早々に放棄しているからである。アップルは「それを有する自分の姿」を気に入ってもらえるパソコンを作り、それを使用している自分が好きな人に買ってもらうことを念頭に置いて商品を製造している。そして、決めた分野では絶対に負けないよう、「カネ」と「情熱」、「知恵」のすべてを打ち込んでいるのだ。
1 一倉定(1999年)『一倉定の経営心得』日本経営合理化協会出版局、102頁。
2 ファブレス経営とは、自社工場を所有せずに製品の製造を他者(外部)に委託する経営方式を指す。
3. 製造業と付加価値との関係
このあたりをもう少し紐解いて考えてみよう。製造業は投資が大きく、多くの設備や人員を必要とする。しかも、成長するたびに投資が発生するという特徴を有する。このことは成長するたびに同等のリスクを背負うことを意味する。製造企業が投資というリスクを背負うのは自社の製品に多くの「付加価値」をつけることが他者との差別化を図ることに繋がるからである。そうした理由から、「付加価値が必要である」とどのメーカーもこぞって口にしていた。
1988年は日本の製造業のピークであったといわれている。当時、日本の製造業をけん引していたのはSONYであり、Panasonicや東芝、日立であったことは言うまでもない事実であろう。こうしたわが国のトップメーカーはいずれも「製造」から「販売」までの工程を自社内で行っている点に特徴があり、これらのメーカーはこの工程によって自社独自の付加価値を付けていた。しかし、産業全体を俯瞰すると、日本の産業はこの「付加価値」という意味をとり間違えていたことが明らかとなる。ここで上記家電産業にとって代わる次なるリーダーは「コンピューター産業」と言われていた。コンピューター産業は、産業構造そのものがそれまでの既存の製造業とは異なっていたのである。すなわち、「開発」と「生産」が分離されている点である。マイクロソフトはソフトを生産するが、ハードは製造しないことで有名である。また、アップルはハードを開発するが、生産は行なっていない。これらの企業に共通するのは、「工場を持たないメーカー」たちという点である。アップルやナイキ、マイクロソフトの登場を一倉先生は予言していた。「生産物のみ」の産業よりも「生産物+付加価値」、それよりも「付加価値のみ」の産業の台頭を予見していたのである。付加価値だけで製品化を行うには、それ相応の知恵が必要であり、絶対的な知恵が必要不可欠な要素となる。圧倒的な差別性やブランド力がその源泉にあれば、製造する必要さえないことを意味している。生産技術の必要ないメーカーは、そのもとになる(開発物)のみで生業になるというわけである。
ここで生まれてくるのは、揺るぎない「ポジション」と「デファクト」である。すなわち、あらゆるものの汎用性であり、唯一無二のものである。この領域に入ってしまうと、もはや独占禁止法などが立ち入ることのできないほどの独占権を有することになる。現在のわが国のメーカーの多くは、「作ること以外、脳のない生産会社にやってもらえば良い」という状況に落ちてしまったのか。自社の製品を製作してはいるが、デファクトにはなれない以上、何らかの形でその傘下に下ってしまったのである。
それでは、何処からこうした状況に陥ってしまったのであろうか。ファブレスのメーカーたちは何が違ったのだろうか。技術なのか、それとも製品制度なのか。そこではないだろう。負けたのはメーカーとしての技術力ではなく、「マーケティング力」である。アップルもマイクロソフトも顧客が欲する製品を製作しているが、作りたいものを作ってそれを改善していく先には勝利の方程式はないことを良く理解している。どんなに製品が優れていても、また高性能であっても、誰もが熱狂的に欲するものを開発する情熱がなければ戦場に立てないのである。
3 これは特定の市場のセグメントや専門分野に焦点をあて、限定された顧客層に対して高い付加価値を提供しようとする戦略を指す。
4 これは同じ武器なら勝敗は兵士の数で決まるという法則を指す。この戦略には弱者(ある市場の2位以下すべて)のとる戦略と強者(ある市場で1位)のとる戦力がある。
4. 目標管理とPDCAの重要性
「目標はその通りいかないから役に立たないのではなく、その通りに行かないからこそ役に立つのである」5と言う言葉について考えてみよう。目標と現実の乖離、予実格差(予算と実際の格差)、PDCAなどに代表されるように、目標計画との格差こそ、企業経営の中核といえる。まず、計画と乖離があった場合、どこまで回復できるかは、会社の規模と質によるところが大きい。どのような企業でも年に一度は年度予算や年度目標などの計画を立てる。問題は、これらの計画からさらに細かいブレイクダウンができているか、PDCAの実質的な回転の仕組みを持っているかどうかである。
PDCAの実施のレベルはさまざまである。仮に1年の計画を立てたとしよう。何となくマンスリーのトラッキングは行ってきている。四半期でレビューを行う。3か月に一度である。そのとき「上振れ」や「下振れ」の傾向値は見える。恐らく、下振れであったとしても、その分「頑張ろう」という精神論で対処しようとするであろう。それ以上にそこでは考えようがないというのが事実だからである。なぜなら、現業を差し止め、原因分析をして次の打ち手を立てて社内合意をとるところまでできるか。慣れているところやレベルの高い会社はできるであろうが、多くの企業ではそれは無理である。せいぜい半期を振り返ることができれば良い方であり、何か新たな方針を1つ足すことぐらいが限界であろう。
それでは、期の途中で計画との乖離がある場合には、基本的にはなすすべ無しということなのか?期の途中から考え始めていては、なすすべは無いのである。多くの一般的な企業は、経営計画や年度計画の考察に時間を割けるのは年に1回だけであろう。ここで留意すべきは、その際に実施する「計画の立て方」が重要であるということである。計画が目標から外れる際の症状は、大別すると2つしか存在しない。❶計画以上に上手くいく場合と、❷目標からショートする場合である。この2つのケースしかないとすれば、予定の段階において、下振れした際に残りの半期何をするのか決めておけば良いのである。多くの場合、「新規顧客のリードの獲得」ということになる。ある意味この作業はペナルティとしても機能する。売上げがショートしたらリード獲得のドブ板まわりをしなければならなくなるが、そうした事態を避けるために予算達成に向けて一生懸命努力する。留意すべき点は、上手く進んでいるときもその余力で何をするかを事前に決めておくことである。つまり、数字が落ち込んだときのセイフティーネットは、行動計画のオプションや行動計画である。
5. マーケティング力の重要性
「総代理店を作るということは、生殺与奪権を与えることである」6と言われることがあるが、これは「さもそれがあるかのごとく有利な権利を与えてしまうことになりかねない」ということを訴えている。物を作っている人たちにとって「売る」という意識が低すぎることを意味している。ビジネスの本質は「作る」ではなく、「作」は消費の原則なのである。おおもとを辿れば、「自分で作って自分で食べる」ことを指し、これが進化して量産してやがては分業化し、ビジネスが登場する。つまり、その余剰分の配分行為がビジネスであり、ビジネスの原点は「売る」ことにある。
しかし、この売るという行為を外部に委託しきって大丈夫なのか。どのようなときに総代理店や独占販売権、系列販売などというものが登場するのか。例えば、海外に進出するときや日本のメーカーが外国で販売するときなどである。具体的には、自社で販売することが難しいので現地ローカルの業者に委託するケースや、高度技術や集団が立ち上げた会社のメンバーがほぼ理系ばかりで販売に疎い場合などには販売会社に委託したりする。こうした事態を想定すれば理解できるように、マーケットに対して自信がないときに販売チャネルに依存してしまう傾向がある。海外進出などは実に分かりやすいケースといえよう。しかし、次第にマーケットへの理解が深まりはじめると、自社の不利な状況や不平等条約にも気付きはじめ、揉め事が起こることになる。マーケットに対する知見に乏しいということは、マーケティングができていないことと同義である。ビジネスは、はじめにマーケティングありきが原則である。顧客の欲するものが分かれば自社で製作できなければ探してくれば良く、この発想こそが実は正しいことといえる。
ここで実例を2つ挙げておこう。アップルという会社のバリューチェーンを見てみよう。アップルはメーカーであるが工場は持たない。ところが、エンドユーザーへの実販売の独自チャネルをしっかり有している。メーカーであるのに工場は持たず、販売チャネルは持つことを考慮すれば、どれ程、自社販売が大切であるかということが理解できるであろう。もう1つの事例であるが、一世を風靡したトイザラスが倒産したのはご存じであろうか。単純に実販売のトイザラスがネット販売に駆逐されたように想像しているかも知れないが、そんなに単純な話ではない。随分以前からトイザラスもネット販売に着手していた。しかし、そのやり方があまり良い方法でなかったのである。トイザラスはネット販売の独占契約をアマゾンと結んでいたからである。つまり、トイザラスはアマゾン以外のチャンネルでネット販売ができなくなってしまうという最悪の事態を招いてしまい、その後、追い打ちをかけるようにアマゾンからその契約も打ち切られてしまうのである。その結果、トイザラスは市場から撤退を余儀なくされてしまった。
5 一倉定(1999年)『一倉定の経営心得』日本経営合理化協会出版局、72頁。
6 一倉定(1999年)『一倉定の経営心得』日本経営合理化協会出版局、94頁。
6. 結語
今回考察した内容を概観すると、現在、わが国の企業やメーカーに求められているのは、技術力ではなく、「マーケティング力」であることが理解できたのではないか。加えて、いかに製品が優れており、また高性能であったとしても、企業やメーカーは消費者(顧客)が熱狂的に欲するものを開発する情熱を持たなければ、市場を開拓することはできないのである。
ビジネスの本質は「作る」ではなく、「作」は消費の原則である。これを進化させて量産→分業化→ビジネスへと発展していく。その余剰分の配分行為が「ビジネス」を形成するのである。ビジネスの原点を「売る」ことに位置づけ、マーケティング力を身につけることこそ、わが国の企業経営がもう一度再認識すべき点であるといえよう。 了